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あつこのマジな日記ページへようこそ!

2008年2月14日 (木)  白い霧につつまれて

せっかく、書き始めようと思ったら、娘が熱を出した。
火曜日は保育園を休んで、一日中家で過ごした。
きのうは水曜日で朝から晩まで生徒を教えて、気が付いたら、
朝の2時、居間の電気もつけっぱなしで、バタンキュウしていた。

それから何か始めるのも鬱陶しく、ベッドで寝なおした。

朝、起きたら町は真っ白な霧につつまれていて、幻想の世界へ迷い込んだようだった。娘を園へ連れてゆき、つきに2度のシーツ替えをした。

与謝野晶子の時代は、中流の家は女中さんがいて、少なくとも家事のいくばくかは、人に頼めたのに、現代は家庭電気製品の発達で、頭脳で仕事をする人は昔よりも少ない時間しか持ち得ない。ああ、もっと稼いで人を使えばいいのかもしれないが、頭で仕事をする人の賃金は暴落し、身体で仕事をする人の賃金が上昇したので、今のところ追いつかない。でも私は、掃除洗濯するために生きているのではないのだから、なんとかせねば。育児は楽しいけれど、実際問題、育児家事、食っていくための仕事を一人でこなしていると、日々は走馬灯のように過ぎていく。

ナカナカ本題に入れない毎日である。
2008年2月11日 (月)  建国記念日

パリ東京を往復すると言葉では言い表せないほど草臥れるけれど、今回は特にひどかった。去年末から今年にかけて10日間行ってただけなのに、3年くらい月日が経ったような気がする。

なにしろ、日本の正月は10年ぶりだったし、親戚縁者友人など、延べ60人くらいの人に会ったろうか?

パリに帰って娘は2日間39度の熱を出しただけで済んだが、私は気管支炎をこじらせて、1ヶ月近く、最低限の生活維持以上の活動ができない状態だった。

やっと完治して、週末に生徒の別荘に招待され、ピカルディーに行ってきた。自然にすっぽり囲まれて、心身ともに癒されて帰ってきた。ありがたい。

さて、今回の帰省でなぜこんなに疲れたのか鑑みるに、浦島花子的カルチャーショックだけではなく我が世代のこの20年の分析と反省とそしてなによりも我が祖国の栄えを見出しにくい今日の状況に対する憤りと、そして私自身もまた流されてきているという悔しい発見とない交ぜになったいろいろな思いにほとほと心を費やしてしまったのだ。

パリから見ると、日本は別世界。

やっと体が戻ったので、少しづつ我が思うところを書いてみようと思う。

今日はパリの朝は0度。午後は10度。立春を過ぎて陽の光が春めいてきた。
続きはまた明日。

追伸、とりあえず健康第一。
2008年1月14日 (月)  あけましておめでとうございます

1月7日にパリに戻って以来、
こちらは穏やかな冬です。
毎日、朝でも5度ぐらいあります。
娘の時差ボケが3日続き、そのあと39度の熱を出して
保育園に行けなくなり、今度は私が気管支炎でダウンしてます。

皆様、お賀状、そしてメールありがとうございます。
日本に居る間はコンピューターが無かったし、
帰ってからは毎日におわれて未だ何もできません。

迷惑メールは1255通ありました。ちゃんとした受信箱にも
皆様のメールと、ごみとが混ざって、163通でしたので、
今やっと、ごみを除去したところです。

これからお返事申し上げますのでなにとぞ
不義理をお許しください。

早く元気になってパリの1月を楽しく生きたいです。。。
2007年12月26日 (水)  帰省

12月26日から1月7日まで帰省します。
この10年で正月に日本へ帰るのは初めてです。

本年はお世話になりました
皆様良いお年をお迎えください

そして来年もよろしくお願いいたします

あつこ
2007年12月11日 (火)  晴天の冬

このところ、雨模様のぬるまったい
湿った日が多かったが、今日は晴天、朝の気温は5度。

私は冬は寒いほうがやる気が出る。

娘も先週以来の吐き気、下痢の症状が和らぎ、
保育園にニコニコして行けるようになった。

私も一安心。

赤ちゃんの体と心は母のそれと表裏一体。

さあ、何から始めましょうか。
私の時間、やりたいことたくさんあって嬉しい。

私の歌といえるものを歌いたい。
2007年11月28日 (水)  戦いすんで日が暮れて水曜日が終わる

今朝は霜がきれいだった。

水曜日は朝9時から夕方18時半までノンストップで
10人の生徒を教える。

夕方、保育園帰りの娘とお風呂に入って、フウと一息。

9月末の東京での本番の後、
フランスに戻ってから、娘が病気がちだったのと、
11月14日から26日まで電車のストが続いたので、
カンパニーの仕事がおろそかになっていた。

今日、或る劇場に電話したら、「ちょっと出遅れ」といわれ、
1月4日に電話するように言われた。

別の劇場からは、資料をおくるようにいわれ、
また企画書を作るようにいわれ、、、

私は作品を創りたい。
3つ創ったから、今度は4つ目。
でも売らないと、歌手や俳優は付いてこない。。
創るのは全然問題ないのに、、

売るっていうのは全然門外漢。
あーあー、いやんなっちゃう。

誰か、儲けていいから、私のカンパニーの作品
売りたい人、この指とまれ。
2007年11月20日 (火)  生きるちから

今朝は7度。
暖かい冬の朝。
今年の夏は、朝7℃の時、寒いと思ったのに、
11月なら、あったかいと感じる。

春、夏、秋、冬、
こうあるものだ、こうであった、
という自分の経験と、見聞きした、
あるいは読んだ、書物の、文学の知識が
自分の感覚を作用する。

パリに住んで9年。
日本よりも、個人の価値観の多様が容認される
環境に居るが、生きる力というのは、本人の
育ってきた環境と現在ある環境の、
或いは様々な違いを受け入れて、或いは、
自分なりに消化、納得して初めて得られるものと思う。

大人に未だ成っていない子供たちの犯罪の報道というものを
ネットで見ると、本当にかなしい。

それは、彼等が生きてきた今日までの人生の中で
彼等が身につけた様々な経験、影響の反映であると思うから。

それは、私たち大人、が何を考え、何を著し、
何を与え、何を創っていこうとしているかという
目に見えないたくさんの情報と、時代の雰囲気が
それを為さしめているのではないだろうか

責任は重いと思う。
2007年11月19日 (月)  霜つきの霜

今日、冷凍庫の霜取りをした。
5センチ位の氷の塊がわんさとあって、
中にほとんど何も入れられなくなったからだ。

2年前の引越しの時もしなかったから、
たぶん、5年ぶりぐらいに霜をとった。

霜月というだけあって、朝の道路は
野の草や土に霜柱が見られる。

5年ぶりに自分の時間ができた。
さあ、歌おう、創作しようと思ったら、まず
霜でも取ろうかと思いついたのだ。
手は氷の破片で傷だらけになったけれど、
なんだか清々した気分。

冷蔵庫だって5年もの間つらかったかもしれない。

前回日本へ行った時に注文した本がやっと届いて、
母が送ってくれた。

馬場あき子さんは能の解説や、創作能までなさる
歌人でいらっしゃるとは知らなかった。

その上、今から37年前に式子内親王の本を著されていたとは!
鬼の研究の本まであるし。

わたしがこの5年間躍起になって能オペラで創っている
題材をとりあげていらっしゃるとは。

今になってから知ってよかった。
偶然とは思えないテーマの一致、、、

いつか、近い将来に
是非お目にかかりたい、短歌を師事したい。
パリへいらっしゃらないかなあ?

それとも飛行機で私が伺いに行くか?

世の中広いようで狭い。

雨が降ったので今日は暖かかった。
夕方で6度。

先週の火曜日から電車のストが続いているが、明日は保育園のスト。
民衆の力を見せるために皆さんがんばって
マニフェストしていらっしゃる。
明日は娘の8ヶ月検診。
何キロになったかな?
2007年11月18日 (日)  ふゆのあめ

昼は0度で、晴れていたので、8ヶ月の娘を
枯葉のじゅうたんの上にはじめて降ろしてみる。

枯葉を食べると危ないので、そのあと松の下に移動。
松の落ち葉を食べてみて、土をほじくって遊ぶ。

手が泥だらけになったけれど、家に帰ってから
お湯で洗ったら、とても気持ちよく昼寝した。

私は土いじりが大好きだけど、娘もそうなるか?
生き物にとって、土との対話は大切と思うので、服がどろどろ
になっても構わずに時々させたい。


夜、静かに雨が降り出した。
久しぶりのプラス2度、暖かい夜になった。

日曜日らしい過ごし方ができて嬉しかった。
2007年11月16日 (金)  マイナス5度

きのうの夜から朝にかけて雪が降ったらしい。
今朝、ベランダの白さがあまりにも美しいので出てみると、
椅子もテーブルも真っ白。雪に洗われてほんとに綺麗。
マイナス5度だった。
去年のパリの冬は暖かかった。ほとんど雪が無かった。

今年は降るかな?

陽の当たらない屋根や、路上駐車の車もみんな
綿帽子かぶって楽しそう。

冬は寒いほうがいい。
俄然、やる気が出てきた。
2007年11月15日 (木)  ボジョレーヌーボー解禁日

毎年、霜月の第3木曜日はボジョレーヌーボー解禁日。
今日がその日。

1990年のその日に、私は東京の日仏会館で、ポムダピという
オッフェンバックのオペレッタの抜粋を演じ、その舞台の中で
「今日はボジョレの解禁だ!飲め!」と言われて、酔っ払っって歌う
場面があった。上がっていた私はワイングラスを持つ手が震えて、葡萄ジュースを飲めなかった。きのうのことのように思い出し、フランスではボジョレなんて
あまたあるワインの中ではたいしたこと無いのに、ラジオが東京への出荷が最多であるとの報を聞き、1本買ってきた。
マッシュルームのバター炒めとオリーブ漬けのアンチョビ、生トマトを肴に
頂きながら此れを書いている。

実際、たいした味ではないが、私もヌーボーというものに惹かれる日本人の一人なのかもしれない。旬を愛し、小さきものを愛でる国民性は清少納言の昔から変わらないのかもしれない。春は曙、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて。
私は東京の朝が好きだ。空は雲で真っ白。吐く息も白く、灰色のアスファルトとのハーモニーが美しいと思う。すごく寒いと東京のビルディングが綺麗に見えた。といっても10年前の記憶だけれど。

今日は来年バカロレア(高等学校終了資格試験)のオプションミュジック
を受ける生徒のために、アランのリタニーの分析を始める。

時間のある人は聞いてみてください。
フランスのオルガニスト兼作曲家自身の演奏です。

国を、人を、この世を治めるということは命を架けるに値する一事業だと思います。私にはたいしたことはできないかもしれないけれど、生きとしいけるものの平和を祈ることはできます。

リタニーを聞いてそんなことを思いました。
Litanies  by Jehan Alain in concert

http://www.youtube.com/watch?v=VFVwsnn4bz8
http://www.youtube.com/watch?v=ibFI9xEaON8&feature=related

追伸。
秋の夜長というよりも立冬、冬がパリにはやってきました。
今朝は0度でした。
2007年10月19日 (金)  誕生日

今日は私の誕生日。
朝、娘を保育園へ連れて行って、
洗濯して、ベランダの花壇にチューリップと
ヒヤシンス、クロッカス、水仙の球根を植え、
それから大根とかぶ、パセリの種をまく。

明日のパーティーの準備で買い物に行き、
フルーツグラタンと豚汁を作る。

今日は咳が時折激しく、苦しい。
娘は先週、中耳炎で39度の熱を出し、そのあと
急性胃炎で嘔吐が止まらず、その看病で
5夜ほど私は眠れなかったので、
頭が朦朧としている。

確かに今日は私の誕生日で、
天高く、白い雲の多い秋空だった。

残り時間に何ができるか、それが問題だ。
2007年10月9日 (火)  フランスに帰る

10月1日にフランスに戻ってきたけれど、1週間は娘の時差ぼけと、
旅の疲れと17人の生徒のレッスンに追われてあれよと過ぎてしまった。
その間、10月7日に娘の初めての歯が下あごの真ん中の左に顔を覗かせた。

ベランダでは毎日朝顔が2,3輪咲く。

一時帰国中は、日本の皆様に大変お世話になりました。
また演奏会にお越しくださった皆様ありがとうございました。
ゲルマニアに行けなくてごめんなさい。娘が泣いて待っていたので、
演奏会出演の後、横浜にすぐ戻らなくてはならなかったのです。
浜離宮朝日ホールが築地市場にあるなんて知らなかったし、
築地まで行ったのにお鮨食べる暇も無くって残念でした。
皆様、
たくさんのプレゼント、お祝いを頂きましてありがとうございます。
心から御礼申し上げます。

個別にこれからお葉書を送ろうと思いますが、
取り急ぎ御礼まで。

あつこ
2007年9月13日 (木)  一時帰国

午後のやわらかい陽射しに秋の気配を感じるこの頃、
皆様お元気でいらっしゃいますか?
9月29日、朝日浜離宮に於けるコンセールC 第70回コンサートに出演するために
一時帰国いたします。実家にはコンピューターがないので、連絡は電話か手紙でお願いします。

演奏会は午後2時からですが、私の出番は5時過ぎです。

9月29日、土曜日、銀座で会いましょう!

演奏会の後はゲルマニアで打ち上げをしましょう!

みんな、覚えてるかしら?
ゲルマニアは私の音楽家としての出発点です。


じゃあね

http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/index.asp


あつこ
2007年9月2日 (日)  新学期です。東京に行きます。

きゅうに秋らしい日々になった。

パリの新学期が始まる。娘は保育園に入った。
フランスは、5ヶ月から公立の保育園に入れるので、
お母さんも働くことができるのです。

さて、9月半ばに東京へ行きます。
娘を連れて行きます。

9月29日に、朝日浜離宮で恩師、中村浩子先生主宰の
フランス歌曲、日本歌曲研究会のコンサートに出演します。

皆様聴きにいらしてくださいませ。

詳しい情報は追って書きます。

ではまたね
2007年8月26日 (日)  もうじき夏休みはお終い

この夏、パリは寒かったが、
昨日、今日と夏らしい週末だった。
私は太陽と暑さがないと、夏は
調子が出ない。

きのうは、娘を連れて市営プールへ行ったら、
工事中で閉まっていた。

今日は私の仕事机まわりを片付けて、
棚を作った。
来週からお稽古再開。
準備しなくちゃ。

午後は太陽いっぱい、
バルコンは35度。

娘は、トマトをたくさん食べた。

明日から、保育園。
私のほうが、何故かドキドキ。

8月の残り少ない夏の日々を味わっています。
2007年8月8日 (水)  やあっと落ち着きました 

皆様、ご心配おかけしました。
誰も心配してない?

でも、何人かの方は時々ここへいらしてくださったようなので、
引越し後の経過をご報告します。

電話、インターネットはしばらく使えなくなっていました。
それから、IKEAで買った組み立て家具はやっと昨日作り終えました。
7月末は5日間、ブルターニュ地方のキブロンにヴァカンスに行きました。
ヴァカンスは実に、4年ぶりです。

8月末まで、娘のあさこと夏休みが続きます。
今度のアパートは同じ建物の3階ですので、
住所、電話番号変わりません。しかし、
ベランダつきの2LDKからの夕暮れは素晴らしいです。

そのうち写真撮ります。
ベランダには朝顔が毎朝咲いてます。

ただ、今年のパリは涼しくて
2日晴れると、2日雨です。
今朝は9度でした。
午後から少し晴れましたが、15℃が最高でした。

明日はどんな天気かな?
赤ん坊が居ると朝が早いので、おやすみなさい。
2007年7月2日 (月)  しょうがない

引越しのため、しばらくインターネットが使えませんので、
皆様、ご了解くださいませ。


 「しょうがない」とは、手の打ちようがないということだ。例えば天変地異である。軽いところでは「しょうがない/雨の日はしょうがない」(『雨が空から降れば』別役実作詞、小室等作曲)のように使うのが正しい。

 久間防衛相が、出身地でもある長崎への原爆投下について「あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っている」と語った。「選択肢としてはあり得るのかな」と。

 本人は「説明の仕方がまずかった」と謝り、安倍首相は「国民に誤解を与える」と注意した。問題はしかし、言い回しではなかろう。人類史に残る無差別大量殺害を、物わかりよろしく「整理」できる神経が問われている。

 米国は、2発の原爆が日本の降伏を早め、多数の命を救ったと正当化した。久間氏も、だから「北海道はソ連に占領されずにすんだ」とみる。もっともらしい解説には用心したい。乾いた戦略論にとらわれすぎると、きのこ雲の下に思いが至らないからだ。

 自らも被爆しながら長崎で救護を続けた永井隆医師は、自宅の焼け跡で、溶けたロザリオが絡まる緑(みどり)夫人の骨を見つける。享年37。まだ温(ぬく)いのをバケツに拾い、歩いた。「私の腕の中で妻がかさかさと燐酸(りんさん)石灰の音を立てていた。私はそれを『御免(ごめん)ネ、御免ネ』と言ってるのだと聞いた」(『ロザリオの鎖』)。

 核兵器は、勝手に天空から降っては来ない。造る者と使う者と、それを命じる者が必ずいる。ならば止める者になろうではないか。「しょうがない」わけがない。

以上、朝日新聞の天声人語7月3日より転載。

雨が空から降れば、思い出は地面にしみこむ。
上野公園の水溜りに映った空と雲を
学校の帰りに今は亡き楽譜売り場のおばちゃんと覗き込んだ
思い出は私の心にしみこんだまま。

ミルフィーユの思い出を纏って私はまだまだ軽い。
幸い思い出の重さは0グラム。
いくらでもまだまだ創れるぞ。
2007年7月2日 (月)  参議院選挙  引越し

パリは寒いです。今朝は14度です。

同じアパートの2階に引っ越します。
住所は変わりません。

日本の皆様、私はパリから、在外投票します。
先日のフランス大統領選挙の投票率は84パーセントでした。
選挙に行こう。投票しよう!

日本の国民が50パーセント以下しか投票しないということは、
もう、日本という国は日本人にとってどうでもいいものなのでしょうか。

どうでも良くないなら、私達の態度で示しましょう。

ああ、吾が祖国に幸いあれ
2007年6月29日 (金)  海潮音 上田敏

パリは昨日、今日と寒いです。
樺太と同じ緯度なんだからこれが
普通かもしれませんが、14度です。

昨日の詩は上田敏訳の
カール ブッセです。

山のあなたの 空遠く、
幸い住むと人のいう
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かえりきぬ
山のあなたに なお遠く
幸い住むと人のいう


Uber den Bergen
                
Uber den Bergen weit zu wandern      

Sagen die Leute wohnt das Gluck      

Ach und ich ging im Schwarme der andern

kam mit verweinten Augen zuruck

Uber den Bergen weti weti druben

Sagen die Leute wohnt das Gluck

Karl Busse 1872-1918


いざ行かむ
行きてまだ見ぬ山を見む
このさびしさに
君は耐ふるや

若山牧水


曇り空 あしたが見えぬ安らかさ
晴れたらあたしの未来よひびけ

あつこ
2007年6月28日 (木)  あと2日

あと2日でフランスの今年度が終わる。
6月30日は第12回パリにおけるプチコンサート本番。
今年は18演目のソロ及びデゥオ。そして
最後の演目、全員合唱は
CLIB EVERY MOUNTAIN「サウンド オブ ミュジック」
のすべての山に登れ。。。

あなたの、私の夢を掴むまで、山を登り続けよう。

誰か、登山家が言ったっけ。
そこに山があるから登ると。

ちょっぴりくたびれているけれど、
もう少し、登ったら、山の向こうの空遠く、
幸せ住むと人の言う、ところまで
たどり着きたい。

ファイト!
2007年6月25日 (月)  警察官の死

ひょんな事から今年の初めに
泥棒未遂を目撃してしまった。
その後、何ヶ月も経ってから、警察署から
「事情聴取に来てください。」と言われ、
一度、出頭した。担当の警察官は優しい人だった。
「それでは、今度もう一度、写真による本人確認に
来てください。」と言われて、更に2ヶ月経った。
先週、家の留守電に
「来週は有給休暇でいないので、19日に来てほしい。」
と残されていた。
19日に電話すると、本人はいなかった。
土曜日に「25日に来てください」との手紙が来た。

今日、25日電話したら、先週お亡くなりになったとの事。
家に残っている、メッセージの声は彼の最後の声となった。

命を張っている仕事に敬意を表し、

ご冥福をお祈りしたい。
2007年6月18日 (月)  確定申告2

昨日の夜中は既に6月18日でした。
長ーい一日を経て未だ6月18日。
今やっと、夕日が沈みました。22時16分。
パリの緯度は樺太と同じとは、父がよく言ってたっけ。

確定申告終わりました。ほっ。

昨日の沢田研二の歌は、サムライです。
歌詞を間違えてました。

片手にピストル、心に花束、唇に火の酒を、背中に人生を!

ピストルを鉛筆に変えれば、私も侍かもね

異国で生きるバガボンドに幸いあれ。
2007年6月18日 (月)  確定申告

歳月我を待たず
明日、6月19日がフランスゾーンC地区の確定申告締切日です。

私は貧しい自由業者なので、経理士も税理士も居なくて、
先週から、一人でそろばん、じゃなかった、エクセルをはじいています。

そういうわけで、皆様、Eメールのお返事遅れます、ごめんなさい。
片手にピストル、片手に花束、、、
とは愛しのジュリーが何時ぞや歌っていましたが、
私は、片手に赤んぼ、片手に鉛筆の毎日です。

6月30日は第十二回生徒の発表会をパリで開きます。
パリ在住の方はお遊びにいらしてくださいませ。
日時は私に電話でお訊ねください。

草々
2007年6月16日 (土)   

7月の参院選あなたは誰に投票しますか?

私はパリから在外投票します。
国民新党の亀井静香さんの仰っていることはまともではないですか?

http://www.kamei-shizuka.net/media/2007/070601.html

政権争奪戦、国会戦国時代来たれ!


私は20年後、30年後に美しい日本国を存続させるには
今、有権者に有識者がどの位いるかが
問われる選挙になるのではないかと思います。
2007年6月12日 (火)  エリーゼのために

今日は小学校の時のお友達、江里ちゃんの誕生日。
お誕生会のときに、お庭でいつも、紫陽花の花を摘んで飾ってあった。
葉っぱにはでんでんむしが付いたままだった。

もう、20年くらい会ってないけれど、元気かしら、、

今晩は私の生徒、エリーゼの中学校の演奏会。tonight
を歌うと言う。同じアパートの絵本編集をしているセシルと聴きに行く。

今年のピアノの発表会は6月30日です。
今年はマリーがエリーゼのためにを弾く。

マドンナのコンフェッションライブのラ イスラ ボニータを観た。
マドンナは46歳にして、元気いっぱい。その身体と気力と、踊りに脱帽!


http://www.youtube.com/watch?v=BkFeJfyMCDQ
2007年6月9日 (土)  御礼

出産、ルーマニアリサイタル、母とその友達達の来仏、と3月以来休む間もなく
日々が過ぎてゆく。去年の今頃は未だママになるなんて知らなかったのに、、、
人生は面白い。
娘のために、そして私のために多くの方からたくさんのお祝いを頂きましてありがとうございます。この場を借りて、御礼申し上げます。6月はフランスは年度締めの月でして、月末までこのままノンストップで忙しいので、御礼が遅くなりますが、ご容赦くださいませ。

あつこ
2007年5月31日 (木)  ZIUA

ルーマニアの新聞に載った記事です。
http://www.ziuact.ro/display.php?data=2007-05-23&id=217951


ZIUA
Nr. 1977 de miercuri, 23 mai 2007


Public putin numeros, dar atent, la seara lirica japoneza


-- Zilele Festivalului International al Muzicii si Dansului au coincis cu momentul aniversarii a treizeci de ani de la infratirea orasului japonez Yokohama cu orasul Constanta.

In acest context, sala Teatrului National de Opera si Balet Oleg Danovski a gazduit, luni, o seara lirica japoneza. Soprana japoneza, Atsuko Majima, nasuta in Yokohama, acompaniata de pianistul francez Marc-Antoine Pingeon, a interpretat o serie de cantece japoneze, precum si o arie din Madama Butterfly, de Puccini. Potrivit spuselor sale, pentru soprana japoneza este o mare bucurie sa poata canta pe scena Teatrului National, purtand un kimono. Desi putin numeros, alcatuit in mare parte din japonezi, public a fost catalogat de pianistul francez, drept atent si foarte calduros. "Chiar daca sunt francez, am cantat adesea muzica japoneza cu Atsuko si, atunci cand mi-a cerut sa vin aici sa o acompaniez, a fost o placere pentru mine", declarat Marc-Antoine Pingeon.

Mirela STINGA
2007年5月30日 (水)  遠い祖国

ルーマニアでの横浜コンスタンタ30周年記念コンサートを無事に終えることができて、5月22日に無事にパリに戻ってきた。現地の新聞に批評が載り、ルーマニア国営放送に映った。今回は私にしては珍しくものすごく疲れた。
しかし、その後もノンストップで仕事をしている。ちょっと休まないと危ないぐらい疲れている。幸い、この5日間毎晩、どなたかが差し入れを下さるので、夕食を何とか食べている。娘にはきちんと食べさせているが、自分自身はいい加減な食事をしている。此れではいけない。今日はオレンジを2キロ買ったので、毎日オレンジジュースを絞って飲むことにした。

先日、熊本の病院における「赤ちゃんポスト」の記事をサイトで読んで、日本はほんとに狂ってると思った。同じ日に東京では、ごみの山に赤ちゃんを捨てた女がいたと読んだ。あまりにも悲しくて暗くなってしまった。そして、5月28日、
故長崎市長の追悼式のあった日に、日本の農林水産大臣が自殺したという報を読んだ。その人は熊本出身だったという。自然は、日本人にとって神であり、生かされる恵みの源であったはずなのに、いつの日から、征服するものに変わってしまったのだろうか。
江戸時代が300年続いたのは、士農工商の御陰も大きいと思う。
志を持つ人が減り、農業を軽んじ、吾が祖国は何を大事にしているのだろう。
国籍だけの日本人である私にとって祖国は遠くなっていく。
2007年5月19日 (土)  行って来ます

明日の朝4時45分のタクシーで空港へ。
ルーマニアのコンスタンタには
明日の夜23時過ぎに着くと思います。

月曜日に、オペラハウスで18時30分から
日本歌曲リサイタルです。

心の歌を歌いに行って来ます。

それでは
2007年5月18日 (金)  ルーマニア日本歌曲リサイタル

5月21日にルーマニアのコンスタンタで、日本歌曲リサイタルをする。
ということが、確定したのは2日前。

というのが、5月の4日に日時、場所を知らされたけれど、
今のところ私は、チラシもポスターも、プログラム原稿も、
何も持っていない。5月4日以来、メールは途絶えた。。。

2日前に、やっとオーガナイザーと電話で話せた。
「楽しくやりましょう。とにかく来て下さい。」

とおっしゃったので、やっと安心した。
きのう、マーク アントワーヌとNAPLE劇場でゲネプロをした。
4人予定していた、さくらのお客さんは2人しか来なかったけど、
2人来てくださったのでありがたい。2人ともフランス人だったので、
日本語チェックはできなかった。

何しろ私自身、呼びかけなかったので今回は仕方ない。

120ユーロも払って、稽古した甲斐あれ!

プログラムはどうなっているのかわからないけれど、やっぱり
コメント、プログラムノートを書くことにする。
今日中に仕上がらなければ意味がない。

さあ、12時半に歯医者さんの予約があるから、今、書かなければ・・・

と、云いながらここでうだうだ日記を打っている、、、

書きあがったら掲載します。。。

追伸、パリは最近花冷えで寒いけど、娘は元気です。
2007年5月6日 (日)  選挙

今日は、フランスの大統領の選挙。
前回の第一次選挙では83パーセントの国民が投票した。

すごい!
さて今晩の結果は、、、


私は5月21日のルーマニア公演決定。
コンスタンタのオペラ座で歌うことになった。

心に残る歌を歌いたい。

4月のパリは1ヶ月間毎日晴れで暑かったのに、
おとといから寒くて、変な天気。

昨日、今日と、広告映画の撮影の仕事。
きのうは太陽を待って、結局日が暮れた。
今日は太陽はあるけど、寒そう、、、
朝、8時で6℃。。。

でもお化粧してもらって、ライトを浴びると、
ああ、私の場所に帰ってきたなあ
と思う。パリのヴォージュ広場で、
お昼までの撮影。

それでは行ってきます。
2007年4月25日 (水)  産休明け

長かった9ヶ月の後、吾が娘を授かり、
そして、あっという間の産休明け。

今日は久しぶりに生徒が10人。

家の娘はほんとに偉い。生後1ヶ月と10日なのに、ちゃんとがんばって耐えた。

泣きもせず、母親である私を困らせず、一緒に過ごした。

私の場合、生んでからのほうがずっと楽。
子供の幸せはみんなのしあわせ

感謝。
2007年4月13日 (金)  父の誕生日

今日は父の誕生日。
72年前に父が生まれ、44年前に私が生まれ、
そして今年あさこが生まれた。

実家に電話したが、あいにく父は熱があって調子悪いとのこと。
でも母が、あさこの写真を見せたら、
「ほー!」っと言ったそう。

明日、も一度電話して。元気だったら
ハッピバースデーを歌ってあげたい。

あと2日で産休は御終い。
あさこは1ヶ月のお誕生日。

来週からまた仕事です。
やれやれ、、、
2007年3月22日 (木)  エレオノール 誕生

皆様。


2007年3月15日木曜日 14時54分
巴里郊外のポワシーにて
吾が娘、
エレオノール あさこ 
が誕生しました。

3370gr、 51cm
髪の毛は黒、目はブルー、肌色は白、
鼻は高くなく、ほっぺはふっくら。
唇はおちょぼ口

頭が大きく、31cm。

よろしくね。
2007年3月14日 (水)  いよいよか

パリにも、冬なしの春が訪れました。朝は寒くて3度。
今、13時過ぎで、12度。日差しは強くはかなく、濃淡のある影が
樹々に立体感を与えています。
透明感のある光はこの季節特有のモノトーン。

さて、朝から陣痛らしきものが既に8回。
たぶん、今日か明日、生まれるかなあ?

それでは
病院へ行ってきます。
2007年3月9日 (金)  美しきもの

今日は、昼までよく眠れたので、一日、心地好く過ごせた。
音楽を教えて暮らして、20年余。
イヤンなっちゃうこともあるけれど、今日は生徒さんたちに
たくさんの愛とエネルギーを頂いて感謝。

もし、20年前に子供を生んでたら、今その子はもう二十歳。
立派な成人であったであろう。でも、私は自分の業を
持っていなかったかもしれない。

私は、ただただ、音楽を学び、自分に投資し続けてきた。
その御陰で、現在の生徒さんたちを得ることができている。
同じエネルギーと、お金と、時間を違う勉強に使っていたら、
例えば医者とか、弁護士だったかもしれない。

でも、好きなことだけやって此れまで生きてこられたのは、本当に
ラッキーな人生かもしれない。

これから20年間は、子育ての責任がアル。
そして、自分もそのかけがえのない経験を通してさらに、
人間的に豊かになりたい。

やがて生まれ来る子に私の星を託したい。
美しきものは、人の心。。。
2007年3月8日 (木)  黄な粉と黒蜜

昨日は、水曜日で朝から晩まで、11人の生徒を教えた。
妊娠9ヶ月、39週目でおなかはボーンと出ているし、動くのもつらいが、
音楽を教えるのは辛くない。
お稽古中に、日本にいる下の弟から、電話があった。
「もう、生まれたか?」という質問と、「それから何がほしい?」
と訊かれた。咄嗟に出た言葉は、「黄な粉と黒蜜」それから「白玉」

去年、日本へ行った時、近所のコンビニで売ってなかった。
滞在期間中に、スーパーに行って買い求める暇もなかった。
飛行機に乗る前日に楽しみにしていた、本屋へ行く時間も取れなかった。
此れが一番の私の楽しみだったのに。。。。。。。。
そんなにまでして、方々の役所や病院へ回って、父の特別養護老人ホームへの入所手続きに奔走したのに、未だに父はどこへも入れないで自宅におり、
母が看ている。
書類の不備を私はフランスからチェックできない。。。。

私は、日本へ行ってもまったくヴァカンスはなく、フランスでも
このところは不眠不休。40過ぎての初産なのに、、、
心身ともにくたびれ果てている。

母が、蕨もちの粉とか、葛餅の粉とか、送ってくれたのがあるが、
黄な粉と黒蜜がないので、未だに作ってない。

葛餅にたっぷり黄な粉と黒蜜つけて食べたい。
それから、あんみつも食べたい。

おなかのべべは出てこない。
音楽に励まされるのは楽しいのだが、
やっぱり疲れる。今日は半日ベットから起き上がれず、頭も痛く、
おなかも痛く、吐き気はするし、熱は出るし、午後、病院へ行く。
生まれそうな兆候はまったくなし。
予定日は22日なのに、、、

きのう、担当の社会保険庁に電話したら、私の妊娠手当ての書類が紛失したとのこと。一ヶ月前から1200ユーロを当てにして待っていたので、がっくり。
此れが入っていれば、今働かなくても済んだのに、、、
これから書類のやり直しだそうだ。入金されるのは早くて1ヵ月半後。
でも、私は家賃、電気代、電話代、個人自由業組合費、年金、社会保険、
その他、いつもの通り払わなければならない。

どうやって、出産して、生きていくのか?
お先真っ暗。

暗澹たる気持ちになると、私は何故かとても日本人になると言う悪い癖がある。ああ、美味しい葛餅に黄な粉と黒蜜かけて食べたい。

それから、余裕があったら、松村由利子さんの「物語のはじまり」「鳥女」
を渋いお茶すすりながら、読みたいなあ。馬場あきこさんの短歌集も欲しいなあ。私がほしい本は単行本なので、パリのJUNKで買えば、3倍の値段。
巴里に来てから、日本の本を買うということは超贅沢なことなので、
今のところとても買えそうにないのが残念。。。

病院で処方してくれた、睡眠薬を今晩はもう薬局が閉まっていて買えなかった。明日、買ったら、明日の夜は、きっとよく眠れるかなあ。

一人ぼっちの夜は、不安に打ちのめされて、のた打ち回って、白々と明けてゆく頃やっと眠りに落ちる。

貴方にはタバコの煙 私の心には 染み入る香り 白いヒヤシンス

あつこ
2007年3月4日 (日)  農業のエキスポ

3月5日からパリのポート ド ヴェルサイユで国を挙げての農業のエキスポを開催している。牛や、馬、豚、鶏たちを観に、大勢の人々が家族連れで押しかける。現大統領のシラクさんにとっては任期中の最後の大事なお仕事のひとつとなった。

フランスという国は、軍と、農業と、文化芸術、この3つしかありません。
そう、まるで江戸時代のような国です。
しかし、この3つがしっかりしてれば案外ほかのことはダメでも国民は幸せです。

日本とフランスは国土の面積は3対5、
人口は2対1

より広いところに半分の人間達と、沢山の動物、自然が共存してます。
このことは、国家、及び人民の精神生活に大いに影響あると思います。
2007年3月4日 (日)  弥生 三月 さよならの月

昨日は、月食だったのに、くたびれてグーグー寝てしまい、
見そびれてしまった。とても残念。
今晩の満月はみれるかなあ?暮れてゆく曇り空に金星は見えているけれど、、、

先日、金曜日に日本人の指圧の先生、みみさんが家まで来てくださり、
それ以来、不思議とよく眠れる。疲れていると、「産む時にがんばれないわよ」
といわれたのと、体中の凝りをゆるめていただいたのとで、だるくて、眠くて
いい気持ち。。。

昨日も、今日も、べべはおなかの中で動きまくって元気そのもの。
足や、手を伸ばされると、おなかの皮が伸びて、にょきっと外に張る。

しかし、陣痛は起きない、、、

長かった独身に、さよならして母となる日をひたすら待つ。
2007年2月26日 (月)  臨月

妊娠9ヶ月検診を受けた。母子ともに健康。
いつでも生んでいいと言うお達しが出た。

「まだ産んじゃダメ」といわれてたので、
このところは早産しそうで、
家で大人しくしていたが、
Okが出たからには、さあ、早く生みたいので、
今日は一ト月ぶりにパリに行った。
あたしの住んでる町はパリ西北30kmぐらいの郊外なので、
セーヌ川を2回渡って、RERという急行列車でパリまで約20分。

一カ月ぶりの外出で嬉しかった。
赤ちゃんのパパになる彼と一緒に映画「硫黄島からの手紙」を観た。
とてもよかった。

戦後60年しか経ってないのに、もう今の日本とは繋がらないような
精神構造をした日本人達を見て、不思議な気がした。
彼等にとっての日本は美しく、かけがえのない、
懐かしい国だったに違いない。

無駄に散っていった美しい日本人達の命を思うと、
やがて生まれてくるわが娘にとって
美しい日本が、存続してほしいと思った。

そのために私は何ができるか?
2007年2月18日 (日)  如月好日

2月なのにパリは、今午後13時で14度。とてもいい天気。
私の風邪も、少し咳が残るがだいぶ良くなった。

ヤフーの意識調査「選挙でみそぎは済むか」は闇に葬られた。
もうどこにも存在しない。

フランスの雑誌GEOの2月号は日本特集です。
http://www.geomagazine.fr/

フランスで日本がどのように紹介されているか
日本の方はご存じないのでしょうね。
特に大臣様は、、、

今朝の朝日新聞の天声人語を読まれましたか?
http://www.asahi.com/paper/column.html

 「そんなことに国費を使うのか、政府のする仕事か、という声が与党からも出た。だが2億7千万円の予算が付き、07年度からの実施に向けて準備が進む。欧米のメディアは、日本から「スシ・ポリス」がやって来ると警戒のまなざしを向けている。」

はっきり言って、外国の日本人にとって、迷惑です。
先週だって、まがい物でもお鮨と焼き鳥が食べられた幸せを、
スシ・ポリスは奪うのでしょうか?

2億7千万円、もし私が日本のために使えるなら、、、
1 ハローワークで斡旋して、日本で失業中の若者を立派な板前に
修行させて、海外に派遣すればいい。

2 或いは、小子化問題改善ののために、例えば期限付きで、2015年までの
7ヶ月以上の妊婦の検査費および、
出産にかかる医療費を全額国の負担にすればいい。
きっとベビーブームになります。

3 或いは日本中の経営不振の豆腐屋さん、板前さんを海外派遣して、店を持たせる援助をすればいい。先日も東京下町のお豆腐やさんが心中したと言う記事を読みました。海外には、例えば森永のパック入り豆腐がありますが、
これは長期保存用のもので、かえって中国人が見よう見まねで作る痛んでしまう、生日本豆腐のほうがずっとおいしいです。

大臣さんにはわからないでしょうが、庶民の生活は管理できるものではありません。日々の喜び、小さな幸せ、例えばおいしい豆腐とか、病気の時にパリで食べるかっぱ巻きとか、そういう優しさを、かつての日本の真心を大事にしないと、絵に描いたような美しい国になって、食えない国になってしまうのでは?
2007年2月16日 (金)  妊娠から出産までの道程

11日の日曜日の夜、ヴァリエテ劇場の本番が終わったあと、彼が来てくれて、
お鮨をとって食べた。1998年にパリに来たばかりの頃と比べると、随分便利になった。ここ何年か、日本ブームで、鮨もブームに乗って、あちこちの中華屋さんがすし屋に早変り。そしてピザの様に出前をするようになった。
パリでは、5年ぐらい前から出始めたけど。わが町、メゾンらフィットの近くにも出前が頼める店ができた。お鮨と焼き鳥とお刺身がある。

値段は内容からするとちょっと高いけど、病人にはありがたい。
ちなみ二人前で42ユーロでした。
おいしかったです。
月曜。火曜は抗生物質の副作用でだるかった。
水曜、木曜は生徒を教えてバタン、キュウ。
今日、金曜は生徒が休んだので幸い私も休めたけど、熱が出て、
一日中、寝ていた。

明日はどんな1日になるかしら。
妊娠8ヶ月も終盤、来週から9ヶ月。
なんだか毎日が長いです。
2007年2月11日 (日)  私の体が戦場なので

今日は、昨日より声がでるようになったが、
代わりに熱が出た。
コウセイ物質なんて、4年ぶりにのむので、
最初は利いたが、3日目になり、私の体の中で、
薬とバクテリアと私の自然と未だ生まれない赤ちゃんとで
大変な戦場になってる模様。口からも鼻からも、耳からも血が出る。
明日はもう少しよくなりますように、、、
2007年2月10日 (土)  休み

木、金、土、と、これで、3日間何もしてない。
薬を飲んで、静かに部屋にいる。
寝たりおきたり、窓から外見たり、、、

手帳をひっくり返してみると、もちろん今年初めての3連休。
去年、一昨年、2006年、2005年、2004年、貧乏暇なし。
金もなし、ヴァカンスなし。仕事と勉強のみ。
この前、3日連続何もしなかったのは、4年前の2003年、ひどい腎臓炎で、
医者に外出禁止命令をされて、10日間も毎日41度の熱を出していたとき以来。

あの時は死ぬかと思った。

今回はそれに比べると楽。

いざとなったら消防自動車で病院へ行けばいい。
なんてったって、私は一人じゃない。
もうじき母になるのだから。

ああ、3日休んでたら、体の中から疲れが出てきた。
私ってほんとに日本人。
ずっとずっと働いてきた。

明日もあさってもすべての予定キャンセル。
完全休養。
体中の骨がバキボキ鳴りはじめた。

思いがけず、流感の御陰で全身が休めて嬉しい。
2007年2月10日 (土)  副作用

薬の副作用で熱が出る。
ベットに横になってると、べべがお腹を蹴ったり、
自分も鼻が詰まってきたり、口が渇いたりで忙しい。
かといって、頭が建設的な仕事や勉強ができる状態でない。

さっき、朝日の天声人語を読んで、はっとわれに返った。
執筆者のきちっとした態度も教養も大変好ましい。
文学に造詣が深い方と察する。

YouTubeでOverjoyed を聞く。
カヴァーヴァージョンも聞く。

そう、私は歌手なんだから、歌って何ぼ。
人の心を打つには、まず自分が真剣に生きなければ。
毎日の生活、私の人生以上のことは歌えない。
そしてそれを偽らずに私の体を通して表現したい。
5月のルーマニア公演で、日本語もフランス語も通じない
演奏会でそれを実現したい。
2007年2月9日 (金)  選挙と禊

昨日に引き続き、まったく声が出ない。
生徒をすべてキャンセルし、
抗生物質のんで寝るしかないとお医者さんに言われた。

昨日のヤフーの調査はやらせで結果を捻じ曲げていると思いたい。
もし、それが真実日本国民の考えてることなら、
国家は国民が作るもの。
日本ってその程度の国だったのでしょうか?

だいたい、政治と宗教は分離しなければいけないのでは
なかったでしょうか?
禊って宗教の言葉です。

皆様、日本人の皆様、ぜひこの際、野次馬になって以下のサイトに
参加してみては?

結果は捻じ曲げれれる。
でも投票している個人の意見は変えられない。
その個人が作っているのが国家であって、
私達は機械ではないし、機械から生まれた人はまだいないと信じたい。

機械に努力してって頼んでも無駄だし、
私達はいつから国家の機械に成り下がったのでしょうか?
これからの子供達の教育を考えることのほうが、
生む産まないよりも大事なのでは?


教養とはその人が実際に体験しなければ得られないと、
ヘッセ研究家の高橋健二先生がおっしゃいました。

今の政治家の世代の教養程度が低いのは、もうあきらめるしかないけれど、
私達の世代の政治家になるであろう人々、がんばって勉強して欲しい。
真に美しい国を作るために。

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=392&wv=1&typeFlag=1
2007年2月8日 (木)  小子化問題

日本では、厚生大臣の発言が取りざたされている。
フランスで、もし、大臣が同じ発言をしたら大変なことになる。
実際、私の生徒達に「どう思う?」と聞いたら、全員怒っていた。
女性も男性も。

私は在仏9年目で、今8ヶ月の妊婦。
日本で、だったら産めないと思う。
フランスでは19,6%消費税、社会保険、年金、組合費、
その他すべての税金を納め、移民としてまっとうな身分があるから、
社会的に保障されているのだ。

日本の消費税では、社会保障をフランスのようにするのは
ほとんど不可能だと思う。フランスは今や世界最後の
社会主義国、、、

私は先々週は救急車で病院に運ばれて、一夜を過ごした。
先週は熱が出て、苦しかったけど、週末は家でずっと
うなっていた。

昨日、生徒を教えて働いた後、猛烈具合が悪くなって、
今朝から声が出ない。お医者さんは満員で、明日の予約をやっと取り、
今日の生徒はすべてキャンセルした。

ヤフーの民間調査を見て、柳沢大臣の発言をもとに、今の日本の人々の
意識を改めて知り、ああ私フランスにいてよかったと思うと同時に、
日本を憂う。私も日本人なのに、、、

質問は以下のようでした。

選挙結果でみそぎは済む?
「産む機械」発言騒動の幕引きを図るなど、政治の世界では、選挙の結果でみそぎは済んだ、とする傾向があります。選挙でみそぎを済ませることができると思いますか?

私は選挙で禊?を済ませることはできないと思う。

この問題は哲学感と人間性の問題で根が深いと思う。 別に頭にこない日本の女性もいるということに憤りを感じる。 小子化の問題は、お金の問題だけではない。 戦後、人々にはお金も家も満足な食べ物も無かったが、 ベビーブームがあった。 それは人々に人間性を取り戻したい欲求と希望があったから。 子宝という。人口は一国の力。 ローマ帝国も人口増加とともに強く、大きくなっていった。 と言うようなことを大臣は語れないものだろうか? きっと、学校で歴史や哲学が苦手だったのかしら?


この大臣は1935年生まれ。戦争が終わったのが10歳のとき。
少年時代に落ち着いた環境で育ってなかったのかしら?
ヤフーで調べても学歴が載っていない。大学行ってないのかしら?

私の娘はフランスと日本の二重国籍を成人するまでは保ち、
22歳までにどちらかに決めなければならない。

さて20年後に彼女はどちらを選ぶでしょうか?
それまで、しっかりと教育していきたい。

私は大学出て以来、なんだかいつも食うか食わずかの生活だけど、
2年前なんか、ほんとに1日1食だったときもあったけど、
今、娘がもうじき生まれることに感動している。

お金では買えない人の命。喜び、家族。

社会に貢献するために生まれてきたのだから、
その道を
私の後も歩いていくような娘に育てたい。
2007年2月6日 (火)  一段落

大学病院へ今日も行った。
やっと、1月26日の検査結果が上がってきて、
結局、良性の細菌が発見された。
妊婦が罹りやすいタイプのもので、
たいしたこと無いと言われた。
処方箋をもらい、一安心。

家に帰る途中、盗難にあってカメラを一個盗まれた
日本人の女子達6人の旅行者に遇う。
フランス人の男の子2人にひったくられて、
取り返そうと追いかけていったとのこと。
「保険で取り戻したい」と言う。
ここはフランス。警察に3万円のカメラの盗難を
届けてもほとんど帰ってくる見込みは無い。
彼女が入っていた保険の盗難のカヴァー限度額が、
トランクを全部なくしても3万円。
掛け金6000円の旅行保険では保障される見込みは薄い。

もう、盗まれても追いかけないこと。
体が無事で怪我も無く、現金、カード、
パスポートも取られなかったのを幸いに思って、
後2日の旅行をエンジョイするようにアドヴァイスし、
せっかく、コルビジェの建築を観に来たのなら、
見てらっしゃいと、タクシー2台に3人づつ乗せて見送った。
あの子達、ちゃんと見学して無事パリのホテルに帰ったかしら?

午後、キネ(フランス式接骨院)に行くが施術中に
左肩裏が痛くなり、目がくらみ、息苦しくなったので
やめてもらう。この一週間で私は1Kg体重が増え、
べべの体重は400g増えた。その先生の腕不足なのか、
或いは、私の体に問題があるのか?

体中が凝るし、思った以上に妊娠は重労働である。

とにかく、早く生みたい!

助産婦さんは、「明日かもしれないし、
来月かもしれない、自然が決めることだから、、、」
と仰った。

次の病院での9ヶ月検診は2月23日。
ちょっと余裕ができた。

追伸 お便りを下さりたい方へ
私のEメールアドレスはサイトにある@をひとつにすればいいのです。
直接載ってると、迷惑メールがたくさん来るので予防してます。
ゲストブックはヤフーサイトで迷惑メール対策ができないので止めました。
悪しからず。
2007年2月5日 (月)  受難の日々

朝、滝のように出血して、病院へ行く。
べべの心臓は異常なく動いており、エコグラフィー上も
赤チャンは元気。血液検査、尿検査、異常なし。
コンピューターの映像には、何も変化は無い。

しかし、私は出血しており、頭が痛くて、
吐き気がしている。

2007年の現在でも、医者には全然理由が見つけられない。
とにかく、私は体調が悪いし、気分も悪い。

でも、朝の出血で何か悪いものを体外に吐き出したような気がする。
胃液とともに口からも悪いものを出そうとしているように思う。

それが何かはわからないけれど、出すと、少し気分がいいのだ。

医者は明日も検査をしたいので、また来いと言う。
検査の紙にデータが出ないような何かによって私たちは生きたり
死んだりしているのかもしれない。

明日も検査、早く寝よっと。
2007年2月4日 (日)  立春

昨日、今日とパリはよい天気。
立春らしく、陽の色が明るくなった感じ。
気温も朝は3度でも、午後は11度と穏やかな日曜日。

私は、毎日いろいろなことがあり、昨日は、午前は助産婦さんのところで
陣痛、無痛分娩、出産後の赤ちゃんの世話などについての講義を受けて、
午後は、産婦人科の先生のところで、エコグラフィーを撮り、羊水検査。
夕方、熱が出て苦しかったが、薬は飲まないで朝まで寝たら下がった。
疲れから癒えるために、自然治癒力がなせる業かと思う。

今日も相変わらず調子が悪いので、一日中家にいる。

私は体の調子を崩したときに、土に触ると治るので、
木曜日から、アパートの入り口近くに、
黄色いクロッカスを植え替えている。
これは、8年住んでいた庭付きアパートに私が植えたもので、
去年1月、大家から立ち退きを求められて同じアパートの2階に
引っ越したけれど、私が住んでた部屋は今も空き家で、
その庭に今年も咲きそうになったのを、
同じアパートの玄関に当たるところへ植え替えた。
金曜日は、水をやったときに勢いが強すぎて蕾をひとつこわしてしまった。
土曜日は、2つかわいい花が咲いたけど、根から花先までの土の高さが
十分でなかったので、お辞儀をしたように花がその頭の重みで
倒れてしまった。
今日、植木鉢に土を足して、3時間ぐらいたって土の表面が乾いてから、
そっと、花の遠くから水を足した。

明日、花が倒れないで咲きますように。
2007年1月30日 (火)  劇的毎日

さっき、ここに書いてる途中で何故か全部消えてしまった。どうも制限時間があるらしい。書くことがありすぎて、半月も書けなかったのだ。

この間、転んだせいで、その後は、出血したり、おなかのべべがまったく動かなくなったり、社会福祉担当の人にもっと仕事を増やして、収入を増やすほかないといわれたり、その間も毎週22人の生徒を教えて、ほんとにもうぐったり。私は個人自由業だから、1ヶ月の産休しかもらえない。
妊娠9ヶ月半ばまでは働かなくてはならない。

さすがの私もかなりしんどい。

27日の土曜日は夜、おなかが猛烈に痛くなって、消防自動車で病院へ運んでもらった。3時間痛みは続いたが、出産にはいたらず、夜中の12時半に、「もう大丈夫だから家に帰ってもいいよ」とお医者さんに言われた。でもそんな時間にタクシーは1台も捕まらず、次の日の朝までベットなし、部屋なしで過ごさなければならなかった。その大学病院はパリ郊外50kmの山の上にあり、私のうちまではバス、電車を乗り継いで一時間はかかる距離。

もうほんとにくたびれた。

今日、キネに行って、(接骨院みたいなもの)多分転んだせいと、体重が10kg増えた性で、背骨も腰骨も首も肩もみんな曲がっていて、左右アンシンメトリになっているのが、諸悪の根源とわかったので、ちょっと安心。でも今日一日では治らないので、毎週通わなくてはならない。骨のビスに当たるものが全部緩んでるので歪みを矯正してもまたゆがんでしまうのだ。

帰ってきて昼ご飯の用意をしていたら、窓から泥棒未遂を見てしまった。若い女の子と男の子が柵を越えて庭から隣の家へ入ってゆき、5分後同じルートをたどって逃げていった。10分後、警察が来て調書を取った。私は顔も服も見てしまったので、あさって人物確認に出頭を求められた。なんでそんなことしたのかなあ?
その子たちの将来を思うと憂鬱。

午後、2ヶ月待ってやっとお返事いただいた不動産屋へ行く。結局私が入りたかったアパートはNG。1月16日に書いていたアパートもダメで、さらに何件か見たけど、入れる日取りが合わなかったり、駅から1分で凄くウルサカッタリ、
エレベーターが無かったり、お風呂が無かったり、ナカナカ条件が合わない。
出産後の、5月過ぎ出ないと引っ越せないみたい。

夕方、ANPE(職業斡旋所)から16時35分に来いという手紙があったのを発見して慌てて行った。隣町のANPEで私を待っていたのは、文化とか芸術とかまったく縁のない黒人のカウンセラー。もっと働けとか、スペクタクルを売る努力が足りないだの、あんたより貧乏な人がいるとか、なんだかんだ言われて、頭にきた。大体そのANPEはこの半年にわたしにひとつも仕事を紹介してくれていない。それもこれもサルコジーのせいだ。前はサンジェルマン オンレイのANPE
にスペクタクル課があって、毎月1つか2つは映画やテレビの仕事を斡旋してくれたと言ったら、その黒人は自分はそういう分野のことは知らないと言う。
作家と作曲家の区別もつかないその人が何を私に進言するのだ?

つまり、職業を探している人、イコール失業者をリストから減らすために
定期的に呼んでは、仕事を探す気力を更に無くさせるようなことばっかり言って、国からサラリーもらってるんだからヤンなっちゃう。

セーヌ川を越えて一駅だけど、その隣町とメゾンらフィットはまるで違う国みたい。あまりにも、イライラして欲求不満になったので、花屋で黄色いフリージヤを買い、それからSOLDの高級下着やサンへ行ってたくさんの下着を試着して最終的に2つ買った。妊娠はほんとにお金がかかる。

これでもうサイズが3回変わったので、その度に以前のものは着れなくなってしまった。でも胸が苦しいと更にイライラするので、やっぱりこれは必要と思う。ブーツは穴が開いてるけど、もう4回目の冬だけど、幸いこの冬は雪が降らないし、足のサイズは変わらないからいいや。来年で、、、


一体これが妊娠8ヶ月の妊婦の1日なのか?

毎日こんな風なので毎日は書けません。

皆様の愛の励ましのお便りお待ちしてます。
2007年1月16日 (火)  新年早々

1月4日にコンピューターが壊れてしまい、新しいノートブックを買った。
ウィンドウズ メディアセンターがインストールされていて、それには日本語が入れられないし、第一、CDがないソフトは何時問題がおきても、いやなので、XPプロを入れなおし、日本語を入れて、オフィス2003を入れたら、ドライバーがおかしくなって、まったく音もしない、CDもヴィデオも使えない状態になった。保障期間中なのに、買ったお店も、コンピューターの会社も「再インストールしたのならオリジナルな状態ではないから知らないよ」の返事。
幾晩か徹夜で、ネット上ドライブ探しの末、今日やっと音も鳴る。CDもDVDも使える状態になった。ホッ!

昨日、1月15日は2007年度のパリ日本大使館のお年賀のおよばれだった。
マドレーヌ寺院の側、高級なブティックが居並ぶ通りを遅刻しまいと走ったら、工事中の石につまずいて転んだ。せっかくの新しいストッキングに10cm位の穴を開けてしまい、イヴサンロ−ランに入って「ストッキングください」といったら、「OHLAA」と言われ大変気の毒がってくれたが、そこでは売ってなかった。でも別の高級下着店を教えてくれたので、そこまで這って行った。
ウィルフォードとか云うメーカーで、28ユーロもした。
その場で履き替え、大使館に参上。ものすごく大勢のお客さんで、押すな押すなのバーゲンセールのような会場を何とか泳いで、しかるべき方々に挨拶して、年に何度しかお目にかかれない方にも会えてお役目を果たした。

早々においとまして、夕方は産婦人科へ行った。7ヶ月検診異常なし。
来週は8ヶ月目に入り、初めて大学病院での検診を受ける予定。

婦人科の後に、急に閃いて、或る不動産屋さんへいく。
11月から私が入りたいと思っているアパートと同じレジドンスの庭付き一階が空いているとのこと。その足で見に行く。私が入りたかった3階は空と森しか見えない素敵な景色だけど、未だに内装工事が始まらないので何時入れるかわからない。
庭付きのほうは、内装工事しなければ、すぐでも入っていいとのこと。
昨日の今日で、すべての書類をそろえて提出した。

大家さんがOKしてくださいますように。。。
2007年1月3日 (水)  明けましておめでとうございます

本日、8度、曇り。
パリは暖かい年明けとなりました。

旧年中は大変お世話になりました。
2007年もよろしくお願いいたします。
2006年12月29日 (金)  年賀状 

昨日、やっと年賀状を書き終え、投函した。
でも、これは日本へ向けてのもの。

フランスの方々へのカードはこれから、、、

さて、今日はパリへお酒を買いにゆく。
朝、マイナス2度だったけど、今、11時でプラス2度。
帰ってきたら、おせち料理に取り掛かります。

あれっ、最近あんまり歌ってない、、、
クリスマス休暇はおしまいにして、
またまじめにやります!
2006年12月25日 (月)  パリで9回目のノエル

パリに来て9回目のクリスマスはとっても穏やか。
気温が2℃なので雪は降らなかった。
24日は一日中、料理していた。
とっても楽しかった。
鳥とマッシュルームのビール焼き、ジャガイモとたまねぎの
蒸し焼き、インゲンとにんじんのソテー、蟹とトマトのギリシャ風ご飯、
チョコレートのハート型クッキーを作った。
夜、仕事を終えて、彼がワインとフォアグラとパンを持って来てくれた。
妊婦にアルコールはご法度だが、昨日ばかりは少しご相伴した。

おなかの子は何故か以上にエキサイトして、バンバン動き出して
苦しくなったので、休み休み食べたが、デザートのブッシュドノエル
グランマロニエまでしっかり頂いて、2時過ぎに寝た。

街はひっそりとして日本のお正月みたい。
フランス人はノエルはお家で過ごす人が多い。
夜、10時半のミサの鐘がカランコロン鳴る時、
あったかい部屋の窓から外を見て、
ああ、随分フランスに居ついたものだなあと思った。
2006年12月12日 (火)  冬になる

この秋は雨が多くてあまり寒くなかったが、今日、嵐の後に晴れると
少し寒くなった。私の住むメゾンラフィットは朝晩に道が凍るが、パリは
メトロと公害のスモッグのせいでなんだか生暖かい。

それでも外は、7度から10度なのでやっぱり冬になったかな。

パリ9年目の私は、0度以下じゃないと本気で寒いとは
感じなくなってしまった。
それにこの冬はまだ雪が降らないし、、、

街のイルミネーションはいつものように12月1日から始まった。
樹々も電球をまとってゴージャスなマダムたちみたい。

私は現在妊娠6ヶ月で、3月に生まれるベベに着せるおベベを
一生懸命編んでいる。お医者さんが仰るには女の子だそうだ。
母子共に順調に健康で2006年を無事に終えることができそうなので嬉しい。

来年は5月から仕事再開の予定。
現在、公演はお休みだがピアニストと月2回はきちんとお稽古している。
これもまた学生みたいで楽しい。
2006年11月28日 (火)  晩秋

土曜、日曜、月曜といい天気が続いた。
今日、火曜日は午後から雨模様だがそんなに寒くない。外は11度。
枯れ葉もほぼ散りつくしたが、未だ少しだけ残っている。
秋の終わりの名残か?

11月17日にヴァンセンヌの太陽劇団のアトリエで、9年ぶりに古武術の甲野善紀先生にお会いした。また11月24日は同アトリエで土方巽さんゆかりの舞踏家カルロッタ池田さんにお目にかかった。そして11月23日、日本大使館で、プロデューサーの内津陽子さんに出会った。
陽子さんは横浜在住で、能のプロデュースをしていらっしゃるとのこと。
毎日10キロ走って、ヨガをやってらっしゃるとのこと。
日曜日にルーヴル美術館に御一緒して、エジプト、ギリシャ、ローマの美術を観て回った。運動がメンタルに影響があるというお話を伺い、あたしも体を使わなくっちゃと思った。美しい彫刻達はみんなほとんど裸なのにゴージャスな体の持ち主だった。

一カ月にこんなにたくさんの影響を与えてくださる方々に会えて感謝。

さて、今日、11月28日、突然に目が覚めた。頭が冴えてきた。
さあ、パリに来て9年目の、そして10回目の冬に向けてゆっくり進みましょう。

私が幸せに楽しく、そして人々に生きてて良かったという思いを分かち合える作品を創ってゆきたい。
2006年11月18日 (土)  迷惑メール

迷惑メールが個人のメールアドレスに来るのはもう、
あきらめて対処しているのだが、
このサイトのゲストブックに毎日何十通も来て、
それを消したら、以前の皆様のメッセージがすべて消えてしまった。

どなたか対処法をご存じないでしょうか?

或いはゲストブックに書いてみていただけないでしょうか?

もし、これが続くなら、ゲストブックはやめるしかないかなあ?
2006年11月1日 (水)  万霊節

今日から11月。
今日は万霊節、キリスト教がヨーロッパの宗教になった時に
それ以前の色々な宗教や神様をまとめて祝うために定めた祝日。
まあ、いわばお盆かな。
フランス語では Toussaintという。

外は6度、部屋の中は21度。
久しぶりの青い空と白い雲。
私は何故かお日様が出ないと、元気が出ない。

結構寒いけど、小春日和の陽の色に
心が弾む。

紅葉した樹々の葉っぱも嬉しそう。
2006年10月19日 (木)  今日は私の誕生日

今日は私の誕生日。
この世に生まれさせていただいて、嬉しい。
この記念すべき日に両親に、恩師に、友人に、
カンパニープランセスリエールの同士に、
そしてすべての今日まで私を支えてくださった方々に
感謝いたします。

ありがとう。

次回公演は12月です。
2006年10月6日 (金)  白い空の秋の日は

昨日、無事に録音と撮影を終えた。
10日間位でプロモーションヴィデオができあがる。

ほっと一息。

白い空の秋の日は
私のための休息日

静かに時が過ぎてゆく
その足音を聞いている

何もしないで見ていれば
窓の向こうに揺れる朝顔

冷たい風になぶられて
薄日に向かって凛と咲く

その美しさに励まされ
吾もかくあらむと願うけふ